やまだ おさむのマンションコラム:「八軒長屋」
契約の入口と出口 −内覧会について思うこと−

■ 渡る世間は契約だらけ
日は昇り、日は沈む ―― 放っておいても私たちの毎日は繰返し過ぎて行きます。
その繰返しの毎日でごく普通にやっていることの一つひとつ、例えば買物では欲しいものを選び代金を払ってモノを受取るわけですが、その場面場面の「陰」では常に契約が行われていると言えます。

即ち、客である私達は欲しいと思うモノを手にとり、内容と値段を吟味した上で「これを買います」と意思表示する。売る側も「その値で売ります」と意思表示する。両者の合意(契約)のもとに、お金を払いモノを(引)渡しているわけです。

こんなことをいちいち意識していては日々の生活がぎこちないものになって仕方ないと言わざるを得ませんが、しかし、個人が行うことのほとんどが、代金と引換えにモノが手渡されるというように、瞬間的に「契約」が完結することから、これを意識することはまずありません。

ところが、マンションを買う場面では「契約」が顔を出します。それは契約書を交わすことにもありますが、むしろ内容の大きさであり完結に時間を要するためと言えます。

そこで、申込証拠金を払い契約書に捺印するまでを「契約の入口」と呼び、内覧会から物件の引渡しまでを「契約の出口」とは呼べないでしょうか。

■ 住戸の検査で思うこと
内覧会の住戸検査に同行させてもらう機会がありますが、そこで常々感じることが二つあります。
その一つは、購入者(買主)は内覧会に行ってみて、今までパンフレットや説明だけでイメージしてきた物件の全貌をはじめて実際に見る機会となるわけです。

何ごとも初めてのことには緊張もする。気分の高揚もあるでしょう。少し舞い上がった状態にあるかもしれない。そのような状況の中で、しかも経験が無い検査がどこまで可能なのか。汚れやキズの指摘に終始するだけが内覧会での検査のすべてではないはずで、もっと本質的なチェックすべきことがあるのではないか、と考えることがひとつ。

もう一つは、そもそもディペロッパー(売主)が考えている内覧会の位置付けは、引渡し説明会に置いているように思えてなりません。確かに契約の履行についての案内が大切なことは事実です。しかし「売買契約でモノを買う」とは、実物が確かめられ、内容も値段も納得できた上で、代金を払いモノを受取ると言うものです。

であるとすれば、完成前の販売(青田売り)であるが故に、売主は契約どうりのものが本当に出来上がっているのだということを、購入者(買主)に説明する努力が求められるはずです。その説明の場としての内覧会という位置付けもあってしかるべきなのではないか、と考えることが二つ目です。
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